054: 西夏語訳六祖壇経
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二種
  • 民国十八年(一九二九)、国立北平図書館が購入した西夏文仏経百余冊のうちに、『六祖壇経』の残簡六葉があり、羅福成による釈文と写真三葉が「国立北平図書館刊」四-三の「西夏文專号」(民国二十一年出版)に発表された。本文は、敦煌本にもっともよく一致し、神秀と慧能の偈の往復の段より、断続して梁の武帝と達摩大師の問答の段に及び、校訂者の後記がついている。

    以上計五紙、為西夏人草書、字既不易弁別、経文亦与蔵本繁簡不同、錯乱顛倒。姑且録出以供研究。経文写在公事紙背、考公事皆有年月、為天賜礼盛国慶某年月日、有朱印在紙縫間、与尋常所見西夏官印無異。有人名甚多署名者、皆画坤於下。以此推之、或為公文也。白麻紙極薄、正文草率、竟不知為何事。有待異日考証焉。羅福成記。

    西田竜雄の解説によると、これらの西夏語訳写本は、その紙背文書に「天賜礼盛国慶二年二月日」、もしくは「天賜礼盛国慶二年六月日」とあるのにより、西夏の恵宗季秉帝即位四年(一〇七一)のもので、西夏文としてはもっとも初期のものだという。なお、この写本については、別に川上天山の「西夏訳六祖壇経に就て」(「支那仏教史学」二-三)を参照。

  • 竜谷大学蔵、橘瑞超旧蔵の残片一葉が、『西域文化研究』第四「中央アジア古代語文献」(昭和三十六年、法蔵館)の図版四十一に発表されている。西田竜雄の解説によると、残片は羅福成の六葉に接続し、元来は同本であったらしく、慧能が「説通及心通」の偈を説く部分である。