043: 絶観論
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一巻

菩提達摩の名によって伝えられる初期禅宗の綱要書の一つ。「三蔵法師菩提達摩絶観論」とも、単に「絶観論」ともよばれ、入理先生と弟子縁門の対話形式をとることから、「入理縁門論」の名があり、「観行法為有縁無名上士集」の尾題をもつものもある。最初に知られたのは閏八四号で、ついで久野芳隆がペリオ本三種を「宗教研究」新十四-一の「流動性に富む唐代の禅宗典籍」の名で紹介、さらに鈴木大拙がそれを新たに校訂して「仏教研究」一-一に「敦煌出土達摩和尚絶観論につきて」を発表するとともに、積翠軒本と北京本を対校して『絶観論』の名で単行本とした(昭和二十年、弘文堂)。最後にペリオ本二〇四四は、『敦煌遺書総目索引』により、柳田が「絶観論の本文研究」(「禅学研究」五八)ではじめて発表したもの。この本は、実は首部を欠く北京本と同本で、首題を「三蔵法師菩提達摩絶観論」、尾題を「観行法為有縁無名上士集」とするのであり、従来作者とみられた無名上士は、実はこの書の予定する読者であることが判明した。もともと、この書の作者については、発見の当初より数説があり、関口真大は早く伝教の『将来目録』にこの名のあることに注目し、「絶観 論撰者考」(「大正大学学報」三〇、三一)を発表して牛頭法融説を提唱、久野芳隆もまた「牛頭法融に及ぼせる三論宗の影響――敦煌出土本を中心として――」(「仏教研究」三-六)によってこれを助け、関口は戦後あらためて自説をまとめて『達摩大師の研究』(昭和三十二年、彰国社)を著わし、『円覚経大疏鈔』十一之下の説と、『宗鏡録』『万善同帰集』等に引用される遺文を根拠として、牛頭法融説を再確認した。この間にあって、中川孝はあらためて達摩作者説· 蜥??し、「絶観論考」(「印度学仏教学研究」七-二)その他を発表している。なお、『絶観論』の本文は